「約束を守る」
これは人として当然のことと思っています。
約束を簡単に反故にする人も世の中にはいるようですが、
私の主観では、そのような方は、まったく信頼できません。
約束を反故にされるというのは、
命綱をたどって登っている途中でロープを切断された思いです。
「疑念視する」
これも個人的には、極めて違和感を覚えます。
当人は、何も悪いことなどしていないという自負がありますので
正しい行為に疑念を向けられると、その方とのご縁を即断ち切ります。
言わば疑念視というのは、
銃口を向けられているに等しい感覚です。
友達でも、仕事関係でも
信頼関係あってこそ絆が深まり、互いに高まって行けます。
「約束を守らない」「疑念視される」
もう、これだけでお付き合いに足る人ではなくなります。
ただし、これは私が10代の頃からの主義であり、感覚ですので、
人に押し付けるものではありません。
「怒る」
わたしは、遠慮なくズバリ言います。
それは、ご縁をいただいている方々と互いに繁栄していきたいと
いつも本気で思っているからです。
互いの繁栄のために「愛」としての怒りです。
ですから、信頼できない人、「あぁ、この人はダメだ」とあきらめた人には
一切怒りません。
例えば、疑念視される発言を受けた時、
証拠を示してそれが間違いである説明をしますが、
それでも相手が疑念視をやめないとスパッとご縁を断ち切り一切言いません。
私に叱られる人は、それが私の愛だと知っていますが、
ご遠慮申し上げたい前述のような人は、無言で即ご縁を終了しますので
相手は、唖然となるようです。
信じてくれないなら、こちらも信用出来ないのですから、
そこに健全な人間関係は、築けません。
ですから、言うのは無駄。
常に、素直で健全で、
意欲を継続する周囲とともに本気で繁栄を目指すひととだけ
ご縁を築いていきます。