よく思うのですが、人とは未完成ですね。
今日は、完全休日。
木々の新緑と、いろいろな花を楽しみたいと明治村へ行ってきました。
自然の地のここは、ウォーキングに最適ですから月に1回~2回ほど訪れています。
ここへ行く途中も、煽り運転に出会ったり、路地から急に飛び出す車にであったりと危険な場面が3度ありました。
このところ、あれだけ悲しい交通事故があったのに、まだ運転に気を付けない人がいるんだなぁと感じた一日でした。
人間の未熟をあらためて思うところです。
人を騙してお金を盗っていく者、人の大切なものを平気で盗む者。
身勝手な運転をする人。
紛争を起こす者。
健全な精神を備えた普通の人間ならこんなこととてもできませんので、
その精神構造がまったく理解できないところです。
人を誰が創造したのかわかりませんが、なんでこうも悪事や紛争を平気で起こす人間を作ったのかと嘆きたくなる日々です。
人は、人を正そうとしても無理があります。
正しいことを続けていても、真実を曲げて理解する人もいますから説得などは、逆効果になることもしばしば。
出来ることは、通常とは異なる精神を有する存在が気付くような行為を続けるしかありません。
曲げて理解されるなら、そのように見る人を意識せずに、自らが正しいと考えている行為を継続すればいいのです。
人が変われるのは、その人に気づきがあったとき。
類は友を呼ぶという言葉がありますが、これは本当です。
あなたの心が変わると、人間関係も気が付けば大きく変わっています。
あなたのレベルが向上すると、そのレベルの人々が自然と集いますので、もしご縁ある人の中に人として恥ずかしいレベルの人がいたとしたら、、、
あなたの潜在意識にそれが潜んでいる可能性が高いです。
もし、周囲の人の行為や性格などに違和感を覚えたら、自らを省みるチャンスです。
あなたに違和感を与えた人を心の中で許し、自らを省みれば、気が付けば大きな繁栄があなたの元に実現します。
真実の行為を続けているという自負があるなら、疑われても堂々とこれまでのスタンスを継続すればいいのです。
私は、説明しても疑念視を辞めない人は、ご縁を断ちます。
約束を守らない人も社会人としては致命的ですから、ご縁を断ちます。
悪事を働く存在は、いうまでもありません。
曲げて見るような人は離れていき、またあらたにより強固な信頼関係を築く人が必ず出現しますから、正しい道を突き進めばいいのです。
誰が何といおうと堂々と。
誰がどのように曲げて見ようとくじけずに。
同じ世界に見えるこの地上ですが、実はひじょうに多くの階層があります。
それは、貧富の差ではなく、人間としての資質など、レベルのことです。
もちろんオカルト的な話ではなく、あなたが周囲を見回せばお気付きのとおりです。
そこには、類の集いがお分かりですね。