夢を100%叶えたジイジの日記

素直に見てくれる人の人生がよくなればいいなぁ~という真摯な思いでの発言です。

大切な家族を失ったとき・・・

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池袋で車が暴走し、3歳の女の子と母親がはねられて死亡した事故。

悲惨ですね。

 

愛する家族を亡くすというのは、はたで見ているよりも

家族にとっては耐え難い悲しみであり、苦しみです。

 

これは、体験したものでないと絶対にわかりません。

息子を亡くした経験者としては、一瞬で奥様とお子様を亡くされたその被害者のご主人の心の痛みがよくわかります。

 

その事故は87歳の男性が起こしたもの。

 

なぜ自ら運転に問題を感じていたのに、免許を返納しなかったのか・・・

 

65歳の私は、75歳には免許証を返納することを固く心に決めています。

もちろん、それまでに運転に不安を感じたら75歳を待つことなく返納するつもりです。

 

これは、不便とか楽だとかそんな言い訳で責任を放棄してはいけないことと考えます。

社会人としての責任

 

いくら自分が「まだ大丈夫」と思っても、

細胞の老化は、誰にもかならずありますから、勝手なことを言ってないで

事故を起こす前に免許証を手放すのは、良識ある社会人としての責任です。

 

何事か起きてから後悔するのでは遅すぎます。

 

私が町内の役員の頃は、町内を流れる幅広く深い用水に蓋をして歩道化しました。

何十年もの間、役員たちも市役所も問題意識がありながら実行しなかったことです。

 

今まで何事もなかったから、これからも大丈夫とでも思っていたのか、、、

どこにもよくある話。

何かが起きてからの対策では遅すぎます。

 

人間として社会人としての責任を考えない人が多すぎるのは

叫びたいほどの怒りと、情けなさを感じます。

 

これも未熟な人間故と言えばそれまで。

 

何事も問題意識を持て!

人間として、社会人としての良識とは何かを考えよ。

 

こうして私が怒ってみても、31歳のママと、3歳の女の子は帰ってきません。

 

事故を起こした男性は、立派な社会人としての経歴がおありのようですが、

肩書は人間を現さずという私の考えどおり、

 

運転能力が衰えた身と理解していながら運転を続けた行為は、人間としての資質自体を問いたい気持ちです。

 

肩書は、人間としての価値を現さず。

年齢は、人ととしての成長度を現さず。